毎日の文トレ

日々感じたことや考えたことを書き殴ります。

発掘ワークショップ

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ちょうど一年前の今くらいの時期に、ジョージア(昔はグルジアと呼ばれていました)という国で開かれた古人類学ワークショップに一ヶ月間参加しました。

 

一日の流れを軽く説明します。まず、朝8時に旧ソ連の軍用トラックに乗り込みドナドナ状態で発掘サイトに向かいます。つい最近ジョージア旧ソ連から独立したので、国中に旧ソの残り物があるのです。ちなみに、このトラックはオイル漏れのせいで、非人道的な匂いがして、朝からブルーな気分になります。

 

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発掘サイトに着くと、ラテンノリの陽気なおばちゃんからその日の担当区分が割り当てられ、その場所を数センチずつ均等に削っていくという単調な作業です。カナヅチで土をトントンと叩いて、骨のようなものが出てきたら慎重に周りの土を削り、その骨を浮かし彫りにするイメージです。毎日この作業をしているので、右手だけがマッチョになりました。

 

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途中、ランチ休憩(パンとハムとトマトとキュウリ)を挟み、16時まで発掘を続けます。発掘が終わると、再びドナドナ状態でキャンプに戻り、一旦シャワーを浴びて、18時から人類学関連分野の講義を受けます。一括りに人類学と言っても、形態人類学、骨学、古人類学、歴史学、地質学、保全学、考古学など様々な学問が関わってきます。この発掘サイトに関わっている教授陣がリレー講義をしてくれました。「旧人類の石器を作ってみよう!」というワークショップもあり、随分と楽しめました。

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講義が終わった後、夜ご飯を食べたら、24時までは自由な時間です。ジョージアはワイン発祥の地でもあるので、後半になると毎晩、白ワインかチャチャという葡萄蒸留酒(イタリアのグラッパみたいな物)を飲みながら、ジョージアの政治の話や発掘よもやま話など様々なテーマで語らいました。ちなみに、日本では飲み会の〆はラーメンと相場が決まっているように、ここではケバブサンドを〆に作って食べます。f:id:AlexanDer:20170701194355j:plain

こんな具合で一日が終わり、次の日の朝にはドナドナと発掘サイトに向かう一ヶ月でした。同じ参加者であるアメリカ人、イギリス人、オーストラリア人、ブラジル人、アフリカ人、ジョージア人に囲まれ、オールイングリッシュで過ごしましたが、今までの人生でこれほどまでに英語を勉強してよかったと思うことはなかったです。

 

さて、空港でクーデターに巻き込まれるリアルに恐ろしい事件や、キャンプからブラジル人が逃げ出したりする珍騒動など様々なことがありました。まだまだ語りきれないですが、とりあえずはここまでにします。

育ちの良い人

新幹線で東京から京都へ向かっていた時の話。

土曜の昼下がりで混雑はしていたが、自由席のアルファベットDEの窓側に座っていた。富士山が見える方の席である。就活で何度も新幹線に乗っているため、富士山が見えるからといって、昔のようには喜べないようになってしまった。ああ、富士山が見えるんだ。くらいのテンションである。

 

品川駅に到着すると、ドバーッと乗客が入ってきて、周りの席がどんどん埋まっていく。おっさんとかが横に座ってきたら、気分のいいものじゃないなと思っていると、抜群に可愛い女の子が横に座ってきた。ぱっと見20も行ってないくらいで、モデルのようにほっそりした手足、整った顔面のパーツ、シンプルだが決して田舎臭くはない服装をしていた。いつもみたいに汚いおっさんが座ってくると思い込んでいたので、突然の美人の到着に緊張しつつも、大したことはないぞというそぶりで大人しくスマホをいじったり、読書をしたりしていた。

 

暫くたつと、女の子がこっちをやたらとチラチラ見てくることに気づいた。最初、知り合いか何かかと思ったが、そうではなく、次に、こっちに気があるのかなと思ったが、そうでもなく、窓の外の景色に興味があるようだ。どうやら新幹線初心者のようである。いやー、微笑ましいなーとか思って見守っていると、その子は通りかかった車掌さんを呼び止め、こう言った。「すみません。富士山はいつ頃見えますか。」

 

こんな純粋な質問をする女の子が他にいるだろうか。普通の女の子となら、疑問に思った瞬間にグーグル先生に聞いておしまいにするところを、わざわざ車掌さんに聞くところが、ピュアすぎる。今まで人間の汚い部分を見たことがないのだろう。そして、そんな女の子が初めて富士山を見る瞬間に立ち会えるということ。僕は心が躍った。

 

後10分くらいで見えると言われた女の子がしきりに窓の外を眺めるので、僕は思い切って声をかけた。

「席代わりましょうか?」

「大丈夫です。向こうで見ますので」と言って、デッキの方を指差した。

「なら大丈夫ですけど。」

 

新幹線が三島駅に近づいた頃、その子も席を立ち、大きめのスマホを持ってデッキへと歩いていった。そこまで来ると僕も富士山をがっつり見てやろうという気分になって、窓の外をしっかりと眺めていた。富士山がぼんやりと見えてきたのだが、曇り空で、綺麗な裾は隠れてしまって、頂上の一部しかはっきりと確認できなかった。あれだけ楽しそうにしていたのになと、少しブルーな気持ちになっていたところ、その子が戻ってきた。

「写真撮れました?」

「頂上しか映りませんでした」

「曇ってて残念でしたね」

「いえいえ、見れただけでも良かったです。」

こんな会話をしながら、新幹線はどんどん西に向かっていった。

 

間も無く京都駅だというアナウンスで、周りの乗客がぞわぞわし始め、彼女もすっと立ち上がり、荷物棚から大きなカバンを取り出した。そして、急に満面の笑みになったかと思うと、こちらに向かって、「お席の御気遣い頂きありがとうございました。」とスッキリとした声で言い放った。僕はびっくりしてしまった。こんな丁寧な言葉遣いができるのか!と思って、とても感動して、育ちの良さにガツンと当てられてしまった。この子はこれからどういう人間になるのかは分からないが、幸せな人生を歩んでいくに違いないと確信した。

 

ああ、名前だけでも聞いていたらなあ。

 

 

 

 

ネタ帳(6月29日更新)

・富士山を一合目から自転車で

・今月のベストフード

・舞台コンパ

・ヒッチレース

・クーデター体験記@イスタンブール

・6000円のアレキサンダー

・ねずみどしの年賀状

・英語の勉強

・夜逃げられ体験記

・ケーキとファミコン

・医者のドラ息子

・小学生の朝活

・サシ飲み事件

ツイッターでの失敗

・オーケストラの大失敗

・イタリアンバルバイト

・ホテル配膳バイト

・コンサートホール舞台設営バイト

・草刈りと生け垣整備バイト

・ピザ窯制作

ヌートリアおじさん

今日はヌートリアおじさんの話をしようと思う。

 

ある夏、鴨川を深夜に散策していた。彼女と深夜の鴨川は涼しいし、ひっそりしていていいね。みたいな話をしていた。出町柳駅のすぐ横にある加茂大橋の北あたりにあるベンチにおじさんが座っていた。こんな時間に何をしてるんだろうと思って、少しスピードを落としつつ通り過ぎようとすると、向こうから話しかけられた。

「なあ、そこのコンビニで食パン買ってきてくれへんか」

「え、いいですけど、なんでですか?」

ヌートリアに毎晩餌あげてんねん」

 

ヌートリアと言うと最近鴨川に住み着いた外来生物で、駆除の対象になっている。そんな動物を餌付けするなんて。と生物学をかじった学生ながらに思ってしまったが、面白そうなので近くのコンビニまで食パンを買いに行った。ファミマの安っぽい食パンをおじさんに渡すと、「見とけよ」というセリフと共におじさんはベンチから立ち上がり、口笛を吹き始めた。フィヨフィヨフィヨフィヨ。と言った感じだ。口笛を吹き始めてから20秒後くらい、川の方がバチャバチャと騒がしくなってきた。すると、中から大小のヌートリアが5匹くらい現れ、岸を登ってきた。おじさんは食パンを小さくちぎり、自分の足元に投げた。ヌートリアの子供がそれめがけて、おじさんの足元でちょろちょろと踊り出す。ヌートリアは見かけは大きめなネズミなので、尻尾が月夜に照らされてテロテロと光っているのが相当気持ち悪かった。

 

「なんでこんなことやってるんですか?」

「俺はな、昔は普通に働いてたんやけど、仕事が嫌で鬱になって、やめてもうたんや。そんで、毎晩酒を飲むようになったんやけど、心は全然回復せんかってん。ある時、鴨川でヌートリアを見かけて、めっちゃ癒されたんや。だから、毎晩ここに来てヌートリアに癒してもらってんねん。俺が餌あげてること誰にも言ったらあかんで。」

「なるほど・・・(これはあまり踏み込んだらあかんやつや・・」

 

と言う会話をして、ヌートリアを堪能し、僕たちは解散した。おじさんに話すなと釘を刺されていたが、この話は鴨川のヌートリアの話になると、必ずしている。ただ、感想として、「ほんまなん、それ」「嘘やろ」「そのおじさんがお前っていうオチなのでは」「そもそも、普段から嘘か本当か分からん話ばっかりするから、信ぴょう性がない」と全く取り合ってくれない。

 

これ、ほんまの話なんすよ。

 

 

奢られ待ちのババア

「奢られ待ちのババアは、木屋町の癌」

 

僕がよく行く三条のバーのマスターがこう言っていた。その直前、立ち飲み屋でそのババアに絡まれた。土曜の夜、友達と映画を観た帰り、木屋町の安い立ち飲み屋で飲んでいた。戦争映画を観たのだけど、描写がリアル過ぎて、少々げんなりしながらも、楽しい感じになってきた矢先だった。お店に入ってきた泥酔した女性(35くらい)が僕らに絡んできた。「その話面白いですねえ(ヘラヘラ)」と言った感じだ。酔っ払いの相手は慣れているので、いい感じにいなしながら、年上なので褒めながらも、時々ディスりながらもコミュニケーションを取った。こう言う年頃の女性(男性もだが)は、ツッコミをしてくれる年下の男には弱い。その女性は入った瞬間に、そこらへんにいたおじさんたちに酒を奢られていた(これも木屋町の悪いところ。ババア需要がある。)が、もう一杯飲みたいと言う。じゃあ、払ってきてくださいね。と言うと財布を持ってカウンターへ行くのだが、財布の中身はほぼゼロ。1000円札もない。ローソンのレシートを出そうとするので、バカかと思いつつも、仕方ないなあという気持ちで、400円出してあげた。絡まれつつも、いい感じになったので、ぼちぼち帰るかぁとなった。そのままで奢りっぱなしで帰るのもなんとなく口惜しかったので、「年下に奢ってもらって、大丈夫なんですか?」と言った。泥酔した女性は、申し訳ないと言いながら金を出そうとするが、もちろん金はない。「ないじゃないですか」と言うと、銀行にはあるの。と言う。「じゃあ、ATMで下ろしてくださいよ。コンビニまで連れて行くし。」と伝えると、分かったと言って、店の外にでた。僕は、その泥酔女性を近くのコンビニに連れていった。ATMにカードを入れるも、入れる方向が間違っているので、なんども吐き出される。見かねた僕は、こう入れるんですよ。とカードをATMに突っ込んだ。ここで降ろさせたら、金額をふっかけれるのでは、お小遣いをもらえるのでは、と言う淡い期待もあった。いや、淡くない。確信していた。それくらいの交渉はできる。なんせ、相手は泥酔しているし。ただ、ATMは無情にも営業時間外で、取り扱いできないと表示された。仕方なく、立ち飲み屋に戻って、カバンを回収して解散した。そのあと、一人でバーに行き、お酒を二杯飲んで、ますたーに冒頭のセリフを頂いた。「奢られ待ちのババアは木屋町の癌」確かにそうかもなあと思いつつ、深夜2時の木屋町をフラフラしていると、酔っ払ってテンション上がった頭の悪そうな女の子二人組が歩いていたりして、楽しい予感がしたが、そのまま家に帰った。

 

次の日、冷静になって考えた。もし、ATMでお金を降ろさせていたら、軽犯罪めいたことになっていただろう。ATM止まっててよかった。

 

可能性のカタマリのような昨晩の騒動の話でした。

女子グループの謎

先日、友達と話していて、「なぜ女子は同じくらいの顔面偏差値の女子とつるむのか」という話題になった。

 

これはよく言われている話で、「可愛い女の子の友達は可愛い」というのも、元はと言えば同じ問題である。高校のクラスで生じる女子グループも大体は顔面偏差値でソートすることができる。もちろん例外はあるが。

直感的に浮かんだ考えとして、人間という生き物は基本的に顔で判断されることが多いので、顔面偏差値が近いと、人からの接され方も似てきて、人生経験が似てくる。その結果として話が合うので、仲良くなりやすいのではないか。と思った。その時は、そうなのかもしれないね。となった。

 

そのあと、あんまり腑に落ちないので、少し調べてみると、「なぜ犬はその飼い主に似るのか」という記事があり読んでみた。

www.huffingtonpost.jp

 

かんたんに言うと、犬と飼い主は似てくるのではなく、ペットショップで犬を選んだ時に、すでに自分の顔(特に目)に似ている犬を選ぶらしい。さらに、その理由として、単純接触効果という、普段からよく見たりするものに好意を示すという心理学的な現象の影響で、ペットショップで自分の目に似た目を持つ犬に好意を抱き、その犬を飼うことに決めるそうだ。

 

これと同じことが、さっきの女子グループでも言えないだろうか。人の顔の特徴のほとんどは目によって決まるだろう。それは、人が他人の顔のどこを注視するかを考えれば自明である。そうなると、自分の目に似た目を持つ女の子、言い換えれば、顔面偏差値が近い女の子に好意を示し、友達になる。と考えるのは、説得力のあるロジックだと思う。

 

こうやって、冒頭の謎がスルスルっと解けたので、非常に気持ちよかった。

人生初の結婚式

「明日結婚式あるんだけど、来れない?」

 

喫茶店でコーヒーを飲んでると、知り合いからそんな電話が掛かってきた。

「もちろん、行きます」と即答した。そのあと、場所と時間、当日の名前、新郎との関係性などが送られてきた。

 

そう。結婚式に参加して、新郎新婦を祝って、盛り上げるバイトの斡旋だ。以前から興味があり、その知り合いに頼んでい他のだ。まず何と言っても、報酬が良い。そこそこの額(もちろん、交通費は別)がもらえるだけでなく、美味しいご飯とお酒が楽しめて、引き出物までもらえる。ぼくがもらったのは、クッキー、バームクーヘン、カップスープ盛り合わせ、さらに自分で注文できるカタログギフトだった。当たり前だが、御祝儀を出す必要はなく、御祝儀用の封筒をそのまま提出するだけだ。

 

その日の夜に明日の設定が送られてくる。名前、関係性、性格などざっくりしている。あとは当日上手いことやってくれと言っているかのようだ。性格に関して難しめな設定を与えられたので、困ってしまった。ボロを出さないようにしなければ。

 

当日会場入りする時にはベテランの方に連絡を取るように言われていた。会ってみると、出来すぎたくらいイケイケ感溢れる30後半くらいの男性で、リラックスして的なことを言われた。向こうにいるチャラい男も同志だから話しかけるといいよ。とだけ言われて去って言った。もう会場入りしてしまっているから、本当にボロを出してはいけない。そういうプレッシャーのせいで二回失敗した。

 

同志たちが集まっているスペースに行く途中、段差に気づかずズッコケて胸ポケットに入れていたiPhoneを発射してしまう。そのあと、テーブルに行き、どう話しかけようかと思って、パニクった挙句、「〇〇(本名)の××(設定名)です。」というよく分からない自己紹介の後に、さらに追い討ちをかけて、「あ、あ、あ・・の・・バイトの・・・」と禁断のワードを出してしまった。同志たちは慣れているのか華麗にスルーしてくれたのだが、内心こいつはやばいと思ったに違いない。

 

そのあとは普通の結婚式(知らないけど)の流れで進んだのだが、問題が起こったのは披露宴の途中である。

 

ビデオクルーが急に席に現れて、新郎新婦にビデオメッセージを取るので一人一言ずつコメントをください。と言い出した。いや、ちょっとまて、聞いてない。業務内容に入ってなかったぞ。別料金発生するぞ。表面上は和やかな感じだが、心の中は荒れ狂っていた。やばい。やばすぎる。そもそも新郎新婦の名前なんだっけ。何話そう。本当にこの時はテンパった。ただ、他のベテランたちはこんなこと日常茶飯事ですけど?みたいな感じで、サクサクとコメントし終わった。まだまとまらないので、と後回しし続けた結果、最後のトリになってしまった。「なんとか(新郎の下の名前)、かんとか(新婦の下の名前)さん結婚おめでとう。電通鬼十則にこんな言葉があります・・・」という分かるような分からないようなコメントをしてしまった。フリーズしかけて、口からでまかせを吐いていた記憶はある。

 

こんな感じで一番の山場を迎え、ウェディングケーキを食べる段になった。新郎新婦の友人も交えてケーキカットをすることになり、数人がランダムで選ばれた。その中には同志もいて、どんな気持ちで知らん人のウェディングケーキを満面の笑みで切っているだろうと思った。

 

これは、罪悪感を金に変える仕事だなと思った。慣れたら楽しいはずだけど、ナイーブな僕には少し疲れすぎる仕事だった。ただ、飲み会などでこの話をすると100%引きがあるので、とても感謝している。

 

とりあえず今日は以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ついうっかりと飲んでしまう。

ヨドバシカメラで悩みに悩み、相談役参考人として友達も呼んだ上で協議し、AKGのヘッドフォンを買った時から、もう飲んじゃおうと思っていた。

 

まずは、四条の南にあるレボリューションブックスという立ち飲み屋へ。ここは、普段は「食べる」ことに関連する本だけを専門に売っている本屋なのだが、夜はこうして立ち飲みができる革命的な本屋である。名物の豚皿は、一乗寺にあるラーメン荘「夢を語れ」に監修されていて、非常にうまい。ラーメンに乗せて食べたくなる。これを立ち飲みメニューにしようと思った人に感謝している。生ビール1杯、富士山麓ハイボール1杯、豚皿ハーフ、ポテサラ(うずらの卵焼きのせ)、野菜天

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次に、調子に乗って、太田和彦さんの「ひとり飲む、京都」に乗っていたノイリーズというBARに行った。

プリマスジントニックタリスカースカイのハイボールを飲んだ。ジントニックに苦味を足すためのスピリッツを足していた。最近のトニックは甘すぎるかららしい。なんかかっこいい。

 

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よせばいいのに、最後はみよしに行ってカレーうどんを食べた。元田中のめんていよりはもちろん美味しかったが、めんていの方も鶏肉をもう少しきちんとした感じにすれば、いい線行くなあと思った。

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はい。ひとまず以上です。

筋トレ再開

つい2年前くらいから筋トレにはまった。最初はトライアスロンの教本に沿って、補強トレーニングとして練習に取り入れていたのだが、やっていくについて筋トレそのものが好きになってしまった。トライアスロン完走目的でやっていたものが、目的そのものになってしまったのである。

 

考えてみると、はまった理由は大きく二つある。一つは目標達成が明快であること。もう一つは精神的な部分で非常に多くのメリットが得られることである。

 

中高と吹奏楽部、大学でオーケストラをしていた私にとって、目標が明確なだけで十分はまる要因になる。音楽では明確な目標というものがない。だからこそ、非科学的な体育会系の頭を使わない練習と指導が残っているのだと思う。練習をして自分が上手になったかどうかが分かりづらい。早いパッセージをテンポ通り吹けたから、嬉しい!みたいなことは起こるが、そういう場合はそのパッセージだけ指が回るようになっただけど、それ以上でもそれ以下でもない場合が多い。これができるようになったから、次はこのパッセージが吹けるなんてことはない。

その点、筋トレはサルにでもわかるくらいシンプルである。40kgのバーベルがあげれるようになった。嬉しい。次は45kgあげれるように練習しよう! 以上である。単純明快。しかも、そのための練習論は世界中のボディービルダーが文字通り汗水垂らしながら確立してきたため、どうすればいいかなんて考える必要はない。やればできる。

 

精神的なメリットは一言で言うと、ご機嫌になる。筋トレ直後の爽快感はさることながら、次の日の筋肉痛は昨日の頑張りの証明であり、悪いものではない。だんだんと筋肉がついていくのも、楽しい。まるで、生まれたてのペットを体で飼っているみたいなもので、毎日成長していく様を間近で感じられる。気持ちよくないはずがない。人間、何かとくよくよしがちであるが、何か一つでも前に進んでいると感じられるメリットは、計り知れない。毎日小さな成功体験を積むことができる訳である。

 

筋トレ後のテンションで、脳筋のような文を書いてしまったのだが、案外正しい気がしている。

 

 

英単語帳の香り

高校生の時、大人ぶった女友達が持って来ていた香水をムエット(香りを試すためのしっかりした紙)に振りかけて、英単語帳のしおりにしていた。シャネルの何とかという香水だったはずだが、振りかけた直後はキツめで、あまりいい香りだとは思わなかったのだが、一日二日経つと、香りの角が取れて、まろやかで上品ないい香りになった。英語が好きだったので、毎日のように単語帳を開き、そのしおりの匂いを嗅いでいた。人のように毎日会えば好きになってしまうのと同じ原理で、その香水も好きになった。ただ、好きなのはラストノート(いわゆる残り香みたいなもの)だけである。

新しい本の匂いを嗅ぐのも好きだったが、香水の香りも加わって、とても嗅ぎ心地の良い単語帳に仕上がった。そんな単語帳を高校3年間使い続けたからか、街中で嗅ぐ香水の匂いに抵抗感を示すことはあまりない。

京都・三条に最近できたMOMAショップにあったコムデギャルソンのAMAZINGREENという香水がとても気に入った。想像の通り、トップノートはキツめなのだけど、落ち着いて来ると嫌味のない落ち着いた上品なグリーン系の香りが残って、常に鼻の周りに塗っておきたいと思うくらい気に入った。

ただ、世間には男の香水に不寛容な人も多いらしく、また、強めな香水を付けていると遊び人かと思われてしまうのも癪である。

なので、今はフレグランス柔軟剤で我慢しようと思い、薬局に向かった。

売っていた中で、一番良さそうだったFAFAの男向けの柔軟剤を買った。これから洗濯が楽しみである。これを使い終わったら、今度はネットでしか売っていないような柔軟剤を買おうと思う。

 

 

旅行前の期待感

 

つい先ほどまで小旅行していた矢先、こんなツイートが流れてきたので、気になってソースを調べて見た。

すると、こういうニュース記事が出てきた。「いかにして休暇は幸福に影響を与えるか」(https://well.blogs.nytimes.com/2010/02/18/how-vacations-affect-your-happiness/?_r=0

そして、さらにその研究についてのリンク(https://link.springer.com/article/10.1007%2Fs11482-009-9091-9

 

オランダの研究で、旅行が人の幸福度とどう関係するのかを調べて研究である。

簡単に言うと、旅行は計画し、待ち望んでワクワクする楽しさが全てで、旅行後にブーストされた幸福度は最大8週間も持続する(ただし、旅行で非常にリラックスできたグループのみ)。また、旅行後はその幸福度が一瞬のうちに下落し、旅行者の中で旅行で非常にリラックスできたと感じたグループですら、2週間しか持続しない。なので、一年に一回大きな旅行をするのではなく、細かな旅行を複数回予定した方が総幸福量は多い。

 

ということだ。旅行予約サイトのキャッチコピーで使えそう。「楽しみな予定が多いほど、人は幸せになる。」みたいな。「手帳が埋まっていく幸せ」みたいな。

 

冒頭のツイートでも言及されていたが、これは旅行に限らずほぼ全ての楽しみに共通すると思う。

ただ、個人的には、その場で即席で出来上がったパーティーと、何かをするみたいなイベントも十分楽しいと思えるのだけど。棚からぼたもち的なイベント。トントン拍子で話が弾んで、気づいたらみんなベロンベロンになっているような出来事。

 

社会人になるとそういうこともなくなってしまうのかと思うと、残りわずかな時間楽しまなきゃな!という気分になる。

 

 

 

 

 

 

お尻心地の良いカフェ

京都市左京区の山の方にある京都造形芸術大学(通称、造形大)に併設されているカフェに通っている。

Verdi(ヴェルディー)というカフェで、近くに本店があるらしく、このお店は二号店のようだ。造形大の入り口にドカンと建てられて、非常に入りやすい。店内はかなり広く、コーヒー豆を焙煎するためのロースターも設置されているくらいには広い。

連続した長いソファーが壁面に沿ってL字型に設置されていて、その前にテーブルが3台くらい置かれている。そんな感じのデザインである。僕がカフェで一番重要視するポイントである、『お尻心地』抜群である。天井には、太陽のようなイメージの梁が見えて、広々とした伸びやかでおしゃれな空間を演出している。Freewifiも飛んでいるので、MacBookを持ち込んで作業なり、複数人で会議なりしているのをよく見る。実際に、かなり使い勝手は良い。

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面白いのは、大学に併設されているのに、造形大の学生らしい人はほとんどいないことだ。(早い時間やお昼頃にはいるのかもしれないが)ちなみに、造形大の学生はコーヒーが100円引きになるらしく、非常に羨ましい限りだ。夕方くらいに行くと、いるのはパソコンを持った京大生っぽい連中か、おしゃべりで暇を持て余したオバハンばっかりだ。ただ、それでもほとんどの席は埋まっていない。

静かにパソコンをカタカタやっているのは構わないのだが、おしゃべりなオバハンの妙に上ずった声は聞いているだけで、イライラしてきて、コーヒーも不味くなる。もちろんだが、コーヒーは非常に美味しく、ハンドドリップは苦味が出過ぎないように温度も調節してある。スタバのくっそ熱いドリップとは大違いだ。写真の長いフレンチトーストもコーヒーのお供に良い。少しお腹が減っているなら、とても気にいると思う。

 

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こんな写真をSNSに投稿したところ、造形大の友達からリプライをもらった。

このカフェが建てられた空間は元々、制作展示をしていたらしく、その展示スペースという学生からすると、とても貴重な空間を金稼ぎのために潰しやがってということだった。まあ、その子は過激なので、全員がそう思っている訳でないと思いたい。

 

カフェがあることで、大学に一般の人が集まるので、うまく誘導してあげれば、展示を見てもらう機会も増えるのだろうと思った。ただ、今カフェにそのような誘導は全くない。素人考えだが、制作展示スペースを併設するなどすればいいのに。と思う一方、快適な空間デザインが歪んでしまうなら悲しい結果になる。

 

せっかく大学に併設されているのだから、そこらへんの議論を進めていただきたい。

 

京大にもこんなおしゃれなカフェできないかな。もちろん学生は100円引きで。

 

 

骨から分かった事実

トレイルランにはまって、隙があれば大文字山に登っていた頃、あるトレイルランのレースにて、右足首を捻挫したことがあった。

比叡山バプティスト病院がある登り口から入って、延暦寺を通り抜け、大原まで降り、金毘羅山を登り、京都造形大の裏手にある瓜生山へぐるっと戻ってくるハードなレースだった。確か全長で43km山道を走り続けた。

 

朝9時ごろにスタートして、ゴールしたのがその6時間後くらいだったと思う。ゴール直前の下り坂で、後ろから誰かが走ってくる音が聞こえたので、抜かされたくないという一心で、ラストスパートをかけた時だった。勇み足で、焦ってスピードが制御できず、ちょっとしたカーブで盛大に足首をグネッたのだ。軽くひねったレベルではなく、後ろから追っていた人からすると、足首が折れたのかという割れるくらい内側にひねっていたそうである。その場は、アドレナリンも出ていたので、あまり痛みを感じなかったのだが、その日の晩から強烈に痛み始め、右足で地面を蹴ることすら難しい状態であった。

 

病院で湿布とサポーターをもらい、安静にしていたら、まっすぐ歩けるようにはなったのだが、それ以降は、頻繁に足首を捻るようになった。足首の靭帯が緩んでしまって、もう元には戻らないようなのだ。なんてことのない下り坂で自分でもびっくりするくらい捻挫した時は、もうトレイルランはダメだなと思った。

 

そんなある時、研究室のCTスキャンで足を撮ってみようと思った。ちょうど二足歩行について興味があったので、いい機会だと思ったのだ。

 

自分の足のCT画像を見ていると、腓骨というくるぶしの骨の一部がどうやら欠けていて、下の方にその破片みたいな小さくて丸い骨があるのを発見した。なんだこれはと思って、教授に聞いてみると、それは昔骨折をした痕だと教えてもらった。

 

そんな骨が折れるほどの骨折した経験は少なくとも記憶にはないぞと思ったのだが、生活費の催促電話のついでに、母親に尋ねてみた。

 

すると、小学校に入る前に公園で自転車の練習をしていた時、うっかりと後輪のスポークとスポークの間に右足を挟んでしまい、そのまま足を捻ったことがあると聞かされた。なるほど、もしかすると右足の靭帯が緩んだのは、このころの影響もあったのかもしれない。

 

僕は非常に驚き、謎がスッキリと解決されたことに興奮した。こういう知的興奮のために、研究者は知的探求を続けるのでしょう。

 

タニシ落としという趣味

20歳までにアイディアの素材はすでに集められているなんて、話を聞くと、小学校までの記憶がほとんどない僕は、悲しい気持ちになる。さほど起伏もなく面白くもない生活だったので、脳が覚えておく必要がないと判断したのかもしれない。ただ、思い出せないで頭の奥底に眠っているものがあるはずだから、それらを拾い上げていこうと思う。

 

小学校高学年だった時(さっそく記憶が曖昧である)、教室には金魚を飼っている水槽があり、その壁面に生える藻を減らすためにタニシも入れられていた。思えば、そんな理由なんてなく、ただなんかと一緒に滑り込んでいたのかもしれない。同じ種類のタニシが壁面にベタベタとくっついている姿は、どう考えても気分のいいものではない。普通、あんな貝の後ろ姿は見ないで済むようになっている。

 

したがって、非常にシンプルで動物的で乱暴な考えで、タニシを壁面から落とし続けることにした。給食を食べた後は、教室に戻りひたすらタニシを落とし続けた。

 

見かけによらず意外と繊細な生き物のようで、手で壁面を叩いて少し振動を与えると、防衛反応かで、そのまま下に真っ逆さまに落ちていく様が面白く、それはどんどんエスカレートしていった。言わば、今のスマホゲー的な感覚である。

 

ある時、いつもの調子で、相撲稽古のように水槽を叩いていると、スーッと手が水槽の中に吸い込まれた。ガラスが割れ、そこから鉄砲水のように水槽の中身が吹き出した。水、金魚、ちっさなえび、水草、そしてタニシたちが教室の床に散らばった。金魚が床でピチピチ跳ねていたのは覚えている。クラスはしっちゃかめっちゃかになり、ガラスで手を切ったかもしれないから確認してこいと、僕はトイレに連れていかれた。

 

幸運にも、なんの傷も出来ておらず、気持ち悪い臭いのする制服から体操服へ着替え、教室へ戻った。周辺の机は動かされ、床はびちゃびちゃであったが、生き物たちはバケツに移されていて、なんとか無事といった状況だった。

 

その後は、いつも通り授業が始まり、いつも通りの日常に戻った。水槽のタニシを落とすためにやっていたという主張が認められて、全く怒られなかった。その後は新しい水槽が買い換えられ、この出来事はクラスのみんなから忘れられた。

 

1ヶ月くらい後だったか、大掃除をすることになった。教室の後ろのロッカーを動かすと、ロッカーの側面にミイラ化した金魚が一匹ペッタリとくっついていた。

 

確か見つけた生徒は、悲鳴をあげていたが、当時の僕がどんな感情を抱いたか忘れてしまった。これだけ覚えているということは、何か強いものを感じたのだろう。おそらく、怖いというよりは、面白おかしい、滑稽だと思ったのだと推測する。

 

水槽の中の金魚の存在感が減ったなんて、誰も考えていなかったのだろう。

  

大分麦焼酎いいちこ

この前、友達から貸してもらった東村アキコの『かくかくしかじか』を読んだ。

作者が漫画家になるまでを描いたマンガエッセイで、すごく読みやすく一気に読み、5巻のあるシーンで一気に泣いた。

 

その中で、日高健三という超スパルタ美術教師という人物が出てくる。非常に厳しいが、本質を付いていて、実はかなり優しい人という性格の人だ。こんな人が出てきた瞬間に、高校の美術教師を思い出した。

 

僕が高校生だったときにはすでに60歳くらいだったが、毎日テニスコートで汗を流すくらいのスポーツ好きで、腕相撲が強く、テニス部の男くらいなら簡単にひねることができる人だった。おじいちゃんのふりをした若い男のような印象だった。絵も描けるし、スポーツもできるという二刀流のすごさに惹かれて、僕はよく美術室に顔を出すようになった。

 

吹奏楽部に入っていたので、普段どんな音楽を聞くのか尋ねると「くらっちっくとモダンジャズしか聞きません」と言われ、いろんなジャンルの曲ばっかり聴いてた僕は、二つだけしか聞かないってのはかっこいいと思い、モダンジャズにはまって行くきっかけにもなった。

 

美術室に入って何をしていたかというと、本棚にあった大量の「藝術新潮」を読み漁っていた。当時美術の知識も全くなかったのだが、綺麗なカラー印刷された絵画や彫刻、版画、風景を眺めているだけで、高校生活のつまらなさから解放された気がした。

 

かなり読み応えのある雑誌なのだが、毎回楽しみにしていたのは、裏表紙にある「大分麦焼酎いいちこ」の広告だった。

 

随分前から同じコンセプト続けている広告で、毎回色々な素材を用いて、いいちこのボトルのフォルムをもじるデザインの広告だった。もうそれは広告でありながらも、芸術作品だと思っていた。

 

ナポリタンとか柿の種だとか餃子だったりとか、とにかく多種多様な素材を使っていて、当時の僕はそのアイディアの斬新さ、新鮮さに毎回驚かされた。(今、ググってみると食べ物を使ったものしか出てこないんだけど、食べ物以外のパターンもあった気がする)本当に貪るように読んでいたので、件の教師からは「もう美術部に入れ。部費を収めろ」と言われていた。

 

今、振り返ってみたときに、僕の広告への興味、面白いアイディアへの興味は藝術新潮で養われたのかと思うと非常に感慨深い。

 

いいちこに感謝である。焼酎は苦手で、全く飲まないのだけど。