毎日の文トレ

日々感じたことや考えたことを書き殴ります。

嫌いなことは自分の中に存在する

何かに対して「嫌い」だと思うことは、その人の中、あるいはその人の近くにその「嫌い」な要素が存在することが多いのだと思う。いわゆる同族嫌悪に近い。「好きの反対は無関心」という言葉から分かるように、関心があるからこそ「嫌い」に思うのだろう。自分の中にそういった要素がないと、そもそも嫌なことにも気付かないのでは。

 

何かにつけ、批判をしてばかりの人は、嫌われることも多いが、何も感じていない人よりかは一歩進んでいる。その「嫌い」の処理能力(解決したり、受け入れたり、無視することかもしれない)を身につければ、むしろ求められる才能になり得る。

 

さて、そのような性質がどういう適応的意義を持つかについて妄想する。自分の中のものを「嫌い」に思う性質は、似たような遺伝子配列を持つ個体を、自分の周辺から遠ざけることになる。すると、遺伝的多様性が増し、その個体の適応度は上がるはず。同族嫌悪には理由があったのだ。