毎日の文トレ

日々感じたことや考えたことを書き殴ります。

タニシ落としという趣味

20歳までにアイディアの素材はすでに集められているなんて、話を聞くと、小学校までの記憶がほとんどない僕は、悲しい気持ちになる。さほど起伏もなく面白くもない生活だったので、脳が覚えておく必要がないと判断したのかもしれない。ただ、思い出せないで頭の奥底に眠っているものがあるはずだから、それらを拾い上げていこうと思う。

 

小学校高学年だった時(さっそく記憶が曖昧である)、教室には金魚を飼っている水槽があり、その壁面に生える藻を減らすためにタニシも入れられていた。思えば、そんな理由なんてなく、ただなんかと一緒に滑り込んでいたのかもしれない。同じ種類のタニシが壁面にベタベタとくっついている姿は、どう考えても気分のいいものではない。普通、あんな貝の後ろ姿は見ないで済むようになっている。

 

したがって、非常にシンプルで動物的で乱暴な考えで、タニシを壁面から落とし続けることにした。給食を食べた後は、教室に戻りひたすらタニシを落とし続けた。

 

見かけによらず意外と繊細な生き物のようで、手で壁面を叩いて少し振動を与えると、防衛反応かで、そのまま下に真っ逆さまに落ちていく様が面白く、それはどんどんエスカレートしていった。言わば、今のスマホゲー的な感覚である。

 

ある時、いつもの調子で、相撲稽古のように水槽を叩いていると、スーッと手が水槽の中に吸い込まれた。ガラスが割れ、そこから鉄砲水のように水槽の中身が吹き出した。水、金魚、ちっさなえび、水草、そしてタニシたちが教室の床に散らばった。金魚が床でピチピチ跳ねていたのは覚えている。クラスはしっちゃかめっちゃかになり、ガラスで手を切ったかもしれないから確認してこいと、僕はトイレに連れていかれた。

 

幸運にも、なんの傷も出来ておらず、気持ち悪い臭いのする制服から体操服へ着替え、教室へ戻った。周辺の机は動かされ、床はびちゃびちゃであったが、生き物たちはバケツに移されていて、なんとか無事といった状況だった。

 

その後は、いつも通り授業が始まり、いつも通りの日常に戻った。水槽のタニシを落とすためにやっていたという主張が認められて、全く怒られなかった。その後は新しい水槽が買い換えられ、この出来事はクラスのみんなから忘れられた。

 

1ヶ月くらい後だったか、大掃除をすることになった。教室の後ろのロッカーを動かすと、ロッカーの側面にミイラ化した金魚が一匹ペッタリとくっついていた。

 

確か見つけた生徒は、悲鳴をあげていたが、当時の僕がどんな感情を抱いたか忘れてしまった。これだけ覚えているということは、何か強いものを感じたのだろう。おそらく、怖いというよりは、面白おかしい、滑稽だと思ったのだと推測する。

 

水槽の中の金魚の存在感が減ったなんて、誰も考えていなかったのだろう。