毎日の文トレ

日々感じたことや考えたことを書き殴ります。

人間性のバロメーター

ほぼ毎日顔を合わせる友達がいて、そいつは話すのが苦手なタイプの人間だ。

話出す前に毎回咳払いをするし、話すスピードもかなり遅い。

僕なんかは内容の正誤や論理などは気にせずにペラペラと話すタイプの軽率な人間なので、初めてその友達の語りを聞いた時は、少し驚いた。こんなに話すのが下手な人がいるんだな。理学部らしいな。と。

人に話しかける時も、独特の不気味さがある。僕なら、話しかけようと思ったら、そこそこの距離から話しかけようとするのだが、彼はかなり近く、ほぼ真横まで近づいてきたかと思うと、急に咳払いをしてくる。イヤフォンで音楽を聞いているにも関わらずだ。足音もあえて消している節がある。突然背後から咳払いが聞こえたりして、ギョッとした経験も数ある。

 

ただ、話す内容は新しい切り口を提供するものであったり、論理の整合性を正すもの、別の可能性の指摘であったり、いかにも科学者的な考え方に基づいたもので、たまにはいわゆるクソリプ(意味のないツッコミやコメント)みたいなものにもなるのだが、基本的にはきちんとしたことを伝えてくれる。

 

もう二年くらいの付き合いなのだが、最近気づいたことがある。

 

「彼の話にどう反応するかで、自分の心の余裕が測れる」ということである。

 

とっても忙しかったり、疲れていたり、眠かったりする時、彼が近寄ってきて話したそうにしているだけで、イライラしてくるし、話かけられてもふんふんと流してしまうのだが、お酒を飲んでいる時や、朝気分がいい時、何かひと段落して、休憩でもしようとする時は、話しかけられても全く嫌ではなく、むしろこちらから話しかけるくらいなのだ。

これはただ、人に話しかけられるのが嫌なのでは?と思うかもしれないが、そうではない。現に、別の人に話しかけられるなら作業を中断してでも、会話を楽しむ方向にシフトする。

 

この感じはなんなんだろうと思った。つまり、ある物事を楽しめるかどうかは、それ自体の面白さにかかっているのではなく、こちらの捉え方次第なのだということに気づいた。

小林くんの会話だけでなく、これはどんなことにも当てはまるのだろう。なので、面白くないなと思った時は、面白いと捉えれない自分を疑ってみようと考えた。