毎日の文トレ

日々感じたことや考えたことを書き殴ります。

華麗のかなしみ

ところで、人は悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ。

なーんて言葉を聞いたことがあるだろう。

笑いに関しても同じようなことが言われているし、はてには、ほとんどすべての感情、気持ちの動きはその前に何かしらの身体の動きを伴うとまで言われている。

脳神経の研究で近いことが実際に検証されていると、神経学者の池谷裕二さんの著書で読んだことがある。

たしかその研究では、被験者の目の前においてある何かの物体を取ろうと思い、腕を伸ばすという一連の流れにおいて、普通の人は①取ろうと思う②脳が腕を動かす指令を出す③腕が伸びるというステップで体が動いていると思いがちだが、実際に脳波を図ってみると、②①③という順番で進んでいたことが分かり、本当にヒトは自分の意志で動いているのかという哲学的な問いまでに考察が進んでいた気がする。

なるほど。キリスト教信者なら神様がいることがこれで分かったなんて言いそうな話である。

 

そんなことを思い出したのは、昨日カレーの仕込みをしていたときだった。

先月末にFREITAGのキュートなカバンを買ってしまった自分への戒めとして、カレーをどっさり作り、毎日食べるというカレー漬けの生活を送っているのだ。

ぼくはたまねぎをどっちゃりと入れ、飴色まで炒めるのが好きなのだけど、そのたまねぎを刻んでいる時に、涙がじわーっと出てきた。

ただ、全く悲しさは感じ無かった。

ウィーンフィルニューイヤーコンサートの音源を流しながらの作業だったので、悲しくなる余地はゼロだった。だって、あんなに陽の感情のためのクラシック音楽他にないでしょう。

 

という訳で、涙を流したって、悲しくはならないということが分かったのだった。