毎日の文トレ

日々感じたことや考えたことを書き殴ります。

死にたくないって思うために

寺田寅彦の随筆に「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい」という言葉がある。

僕は大学の放射線取扱の講習でそれを聞いた。なるほど、それが知性ってものだよな、と思って、あいふぉーんのメモに書き留めておいた。放射線がどこまで行けば危険で、どこまでなら安全と言えるのかをきちんを理解した上で、しっかりと抜け目ない対策を講じようということだった。

先週の先週末、北岳という日本第二の山を登りに行ったとき、ふと頭からこの言葉が出てきた。

富士山以外の3000m級の山はどこでもそうだと思うのだけど、標高が高くなって森林限界を超えるとごつごつした岩場になって、ちょっと足を踏み外したら笑えない状況になるだろう危険な場所が増えてくるのだ。以前、北アルプスの奥穂高に登ったときも、そんな危険ルートばっかりで、最後らへんは「死にたくない、まだ死にたくない」と呪文のように唱えながら、岩に塗られた矢印方向にひたすら動き続けていた。2mくらいの大岩に左向きの矢印がペイントされているのだが、どう見ても左には崖しかなかったときは、本当に死の恐怖を感じた。実際は、幅20cmくらいの足場があったのだけど。

北岳はその点、比較的マイルドなコースではあったのだけど、それでも落ちたら死ぬだろうとサルでも分かるような危険箇所は多々あった。山岳マップを見てて思うのは、滑落注意!とかではなく、ちゃんと滑落したら、即死するのか、あるいは大怪我するのか区別してほしい。そんな中で、一番怖かったゾーンは、山の小さめのピークの周りをぐるっとトラバース(横移動)するために、木の渡り廊下(アスレチック遊具みたいな)が、山側ではなく崖側に傾いて設置されていた場所だった。手すりがあったとしても崖側に飛び出しているから全く信用できないし、手すりがないところなんてのは、山側にゆるーっと設置された黄色と黒の荒縄に命をあずけるしかなかった。そんな中でいつも通り、まだ死にたくない、やりたいことが残っている、なんてブツブツ言いながら、できるだけ山側に体重を預けて、恐る恐る木の足場を進んでいると、僕も前を歩いていた同行者がその生命のロープを掴んで、崖側に身体を反らしたポーズで、「うわ~死ぬ~」とか言いながら記念撮影をし始めたのだ。

やっぱり山に登りたがる人はどこか頭がおかしいと確信した。死にたがりが多い。

その瞬間に冒頭の一節が頭に浮かんだのだった。崖、正当にこわがろうよ。。。

だけど、自分がそういう危険なところを怖がりすぎているという可能性もあるのかなと思うと、どっちが正当にこわがっているのか分からなくなってしまった。

 

その後、幾つかのデンジャラスゾーンを通り抜け、山頂で日の出を見た時には今までの疲れや恐怖が吹き飛んで、山登って良かったなという満足感に満たされたが、20分後には山頂にいることすら怖くなってきて、早く下界に帰りたいという気持ちが山を覆うガスかのように僕の頭の中に充満したのであった。